20代のころ、あるワークショップに出たことがあります。
それは、相手の目を見つめて、見つめられている人がちゃんと見られている、と感じたら手を上げる、というものでした。
私は、相手の目を見ていても、相手からはちゃんと見られている感じがしない、と何度も言われてしまったのです。
どうやったら、相手からちゃんと見られている、と思われるのだろうか? と頭の中でグルグル考えていました。
こちらが焦れば焦るほど、どうやったらちゃんと見ることになるのだろう、とますます頭の中であれこれ考えを巡らせてしまっていました。
今思えば、そうやって考えれば考えるほど、心ここにあらずの状態になって、相手からはますます“ちゃんと見ていない”状態になっていたのだと思います。
きちんと目の前の相手に向き合って、今ここ、の状態を受け止めることが必要だったのですね。
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